中津鋼材株式会社

中津鋼材株式会社
代表取締役社長 桂川 邦俊 中津川市出身

中津川市、恵那市を中心に一般鋼材販売鋼材加工となまこ壁「蔵」製造、販売を行っている桂川社長へお話をお伺いしました。

 

「信頼と企業の誇りとともに、地元に貢献する」

社長就任に至るまで

中津鋼材は元々、中津の新町にあった藤井金物で働いていた先代が独立して中津鋼材という別の会社を設立したのが、今の会社の始まりです。

「私は大学卒業後、1年間の就職活動をせず、バイトをしながら、夏は海へ遊びに行き、冬は山に登る、そんな日々を過ごしていました。
そんな時、家族から地元に帰ってくるよう言われ、地元中津川市に帰郷後に恩師に紹介してもらったのが中津鋼材でした。
その後、入社した私はサラリーマンとして、最初は運転手をして、その後営業を経験しました。
30歳の時、先代から「色々勉強してきなさい」と言われ、青年会議所に入りました。
私自身も経営者として期待され、先代とは血縁関係はありませんでしたが、支えてもらった感謝の気持ちと、事業を継承したい思いという強い思いで、47歳の時に代表取締役に就任しました。」

人のつながりが変えた人生

人生には3つの出会いがあると言いますが、私にとって第1の出会いは、中津高校に入学した時に出会った恩師です。
2番目は、中津鋼材の先代社長であり、3番目は、中津川青年会議所です。これらの出会いや出来事が私のターニングポイントとなりました。

①自分を変えてくれた恩師

「恩師の先生とは、私が高校生の時に出会いました。
当時先生は、中津高校で体育科の先生をしていました。
私が1年生の時、道を外すことを心配した先生が声をかけてくれて、夏休みの期間中、阿木にある先生の家に滞在する事になりました。
先生は私を温かく受け入れてくださいました。先生のおじいちゃん、おばあちゃん、奥様、そして子供たち全員も私を受け入れてくださいました。
その話が青年会議所の中で、「桂川先輩は寺に預けられた」という話になっていたのですが、実際は先生の家で、朝6時に起きて子供たちとラジオ体操に行って、その後は 1年生や2年生から出された宿題を私が一生懸命やって、午後からは子供たちと阿木川に泳ぎに行く、そんな生活を1ヶ月間過ごしました。
高校3年間私はクラブ活動に力を入れていました。スピードスケートをやっていて、3年間インターハイに出場し、国体にも行きました。
大学も、クラブ活動が関係で愛知学院に入学しました、国体やいろいろなイベントに出場しました。」

②恩師からのつながり

「私が大学を卒業した時に、中津鋼材の先代と先生が知り合いで、藤井金物店から中津鋼材に変わる時に、先代が新しい人材を探していたそうです。
そこで先生が、「元気のいい人がいますが、どうですか?」と私を紹介してくれました。
中津鋼材に入社した時は、まだ先代の事業を引継ぐとか、そんなことは一切思っていませんでした。
入社後の仕事内容は普通のサラリーマンのように運転手をしながら営業をしていました。
23歳で入社して7年間、営業の仕事をしていました。」

③成長させてくれた場所

「先代は元々藤井金物店の跡継ぎではありませんでしたが、30歳の時、藤井金物店の番頭さんをやりながら10年間青年会議所に入って色々学んできたそうです。その後私も、会社から会費の補助を受けながら、30歳から10年間青年会議所に入力していました。
しかし、仕事をしながら青年会議所のすべての行事に参加することはできなかったので、せめて例会にだけは必ず参加することだけは決めて参加していました。
青年会議所に30歳で入りましたが、その時に出会った40代の人は自分よりも大人に見えました。
青年会議所で多くの経営者の方に出会い、たくさんの話を聞くことで、自分の人生観が変わりました。
一番思い出に残っているのが、年代の違った人との出会い、選挙などで知り合っていく中で、自分を知ってもらえるのが嬉しかったです。
色々経験していく中で、地元の経営者と交流しているうちに、たくさんの刺激を受けて、ここで働くなら一生懸命やるべきだと私の意識が大きく変わりました。

青年会議所に入会させてくれた先代には本当に感謝しています。
もし、入会していなかったら会社を継いでも今のように大きくすることはできなかったと思います。

人と人との出会いは本当に大切だと思います。
先生に出会った事、先代出会い色々な経験をさせてもらった事、そして青年会議に入ってたくさんの人と出会ったことは、人生の三つの重要なポイントです。」

 

最初の壁

先代の思いにこたえたい気持ちで社長就任に就任した桂川社長、一番最初に感じた苦労についてお話をお伺いしました。

「社長就任時、私は47歳でした。まだ47歳とは言っても、周囲の方から見れば、まだまだ名前が知られていない状状態で、銀行からの信頼もありませんでした。
まずは周りに知ってもらい、信頼してもらうことが大変でした。」

新事業との出会い

中津鋼材では一般鋼材の素材・加工販売以外にも、伝統的ななまこ壁を施工が容易にできるタイル貼り工法で出来る、なまこ壁「蔵」の製造販売を行っています。
なまこ壁「蔵」の事業がどのように始まったのかお伺いしました。
「なまこ壁は、元々「京ブロック」という会社が販売していました。
京ブロックは私の後輩のお父さんが起業して始めた会社で、後輩がその事業を引継ぎながらやっていました。
バブルが弾けたころは、外壁にお金をかけることが一切ありませんでした。
そんな中、事業を続けていましたが、どうしようもなくなってしまい、私の所へ相談に来るようになりました。相談を受け、当時流行りのM&Aの手法を用いて、その会社を買い取り、後輩と共に苗木で事業を始めました。
その後なまこ壁専用のホームページを作ることを提案されて、今のなまこ壁のホームページを作りました。
最初は、ホームページやインターネットの力を信じていませんでしたが、実際にやってみると、お問い合わせや必要な資料請求が来たり、スーパーゼネコンの方からの設計の依頼が来たりと、大きな成果を得ることができ、私たちの会社名が広く知ってもらうことが出来ました。
なまこ壁は商品を作りそれを発送して、現地で工務店さんなどに施工をしてもらう商法でお客様になまこ壁をお届けしています。」

地元と社員に愛される会社

創業40周年を迎え、桂川社長が今後目指す会社の姿には地元と社員を思う気持ちが込められていました。

「中津鋼材は今年で40周年を迎えますが、地域の人に愛される存在であり続けたいと思っています。
「鉄のことならなんでも相談」というキャッチフレーズをつけてやっていますが、鉄はどんな会社にも必要不可欠な材料なので、お客様のニーズに合ったものを提供していきたいと思っています。
社員も働いて良かったと思ってもらえるように、楽しみながら働いてもらいたいです。また、地元で活躍している会社に誇りを持って働けるよう、地元に人ともかかわっていきたいです。」

 

何事も楽しんで、経験が成功の近道

どんな事でも積極的に挑戦し続けた桂川社長に、これから社会人になる若者へ向けてメッセージを伝えていただきました。

「仕事は辛いこともあるけれど、やはり仕事を楽しみながらやる事がまずは大切かなと思います。
また、何事もやってみないとわからないので、なんでもチャレンジしてみてほしいです。
考えて諦めるだけではなく、行動にすることで初めて経験できる挫折もあります。
私は失敗を恐れずに行動し、経験を積んでいくことが、成功へ道であると信じています。」

基本情報
会社名 中津鋼材株式会社
代表者名 桂川 邦俊
所在地 〒509-9132 岐阜県中津川市茄子川1595-11
TEL/FAX TEL:0573-68-3119 / FAX:0573-68-4336
業務内容 一般鋼材販売鋼材加工・なまこ壁「蔵」製造、販売
公式サイト https://nakatsu-kouzai.jp//rexcent

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